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                                          エッセー

  自らを 仁科 哲夫 と名乗りなぜか文章を書くのが好きです。しかし、これはたんに主観の問題にすぎず、冷静な第3者から見ればただの下手の横好きという意味になります。したがってその結果はおのずから明らかで、原稿用紙の桝目をせっせと埋め込んでは、紙くずばかりを製造しておりました。

  最近では、パソコンのワープロソフトとかいう便利な道具が出回りそれを買わされたあげくに、プリンターメーカーにインキ代を、電力会社には電気代を貢いで業績向上に貢献しながら、性懲りもなく浪費を続けている事実にはいささかの変わりもありません。

  以下に掲げるのは私の墓碑銘、いや、随筆集です。硬軟取り混ぜて玉石混交ならぬ石泥混交です。閑にまかせてお読みくださる方には満腔の敬意を表します。ただ私自身も男性執筆者の悪い癖からいまだに抜け出すことができずにおりますので、鼻持ちならぬ論説調のごちごち文章になっております。睡魔におそわれて白河夜船を漕ぎだす前に、ご批評のメールでもくださればまことに有り難き幸せです。

目次   水戸黄門はいずこに:歴史は繰り返すか
      蘭 香      : インガピルカ幻想
      アメリカ村寸景 :モヒカンとオバンバは変革の原動力
     
女の執念    :げに恐ろしきもの、汝の名は女なり
      脳 差      :夫婦喧嘩は犬も食わない
    ネオン赤丸  僕の神様     : 「神は死んだ」 ニーチエ
    緑の雫 ネイチャーコール:下ネタ回顧録
    赤い雫 繭のスーツケース:ジジイとババアの赤毛っと
    黄色い雫 存在の重さ   :老夫婦のリビング風景
    紫の雫 私の宝物    :平成14年 第4回 宮崎文学賞 随筆部門 準佳作


    題 名:水戸黄門はいずこに  4枚  仁科 哲夫  平成6年3月28日

 米問屋が不作をよいことに、悪代官に袖の下を送って大ぴらに米の買占めを計っている。米一揆にならない程度にくず米を小出しにして、庶民の怨嗟の声をお上の力で押さえ込む。値上がりで濡れ手に粟の大儲けを企む、天を恐れぬ悪徳商人が世にはびこっている。この末世の窮状を、腰の印籠をかざして大向こうをうならせ、快刀乱麻のお裁きで明るい世直しをなさっている黄門さまは、今どのあたりを旅しておられるのであろうか。

 1月末の飛行機代が安い時を狙って、シンガポールへ観光に行ってきた。東南アジアでいちばん物価が高く、「一粒たりとも」米を作っていないシンガポールの町の米屋さんでは、20種類近い米が甕に山盛りに飾って売られている。その中の最高級品は、長粒米ではあるが1キロ70円強であった。30年前に初めて当地を訪れた時に感じた、近隣諸国の首都に比べれば洗練されはいるが、まだまだ残されていた東南アジア的な喧騒と混沌の名残は、もうキレイに無くなっていた。大阪空港のみすぼらしさをいやでも思い知らされる、明るい色彩と花いっぱいのチャンギー空港、斬新なデザインのビルが建ち並ぶ商業地区、緑に囲まれた高層住宅郡、工業施設の集中するジュロン工業団地など、都市国家として面目を一新していた。

 1965年、マレーシアからの分離独立以来、新しい国づくり理想に燃えた若い官僚たちは、リー・クワンユー首相のもとに腐敗のないクリーン・シンガポールを政治目標として、公共の福祉に私権を従属させ、それによって東南アジア随一の高所得国家を築き上げることに成功した。公共の福祉優先の原理で人々はさまざまな日常生活上の私権の制約を受けたが、その不便を耐えることによって、それを補って余りある、快適な生活を公平にもたらしてくれた政府に強い信頼を寄せている。

 日本人が日本人としての誇りや満足感、帰属感をはっきりと自覚しているのは、どちらかといえば少数派であろう。ここシンガポールでは中国系も、マレー系、インド系も坩堝の中でうまく溶けあって、ほとんどの人たちがシンガポーリアンとしての誇りを強く抱いている。3年や5年では判らないが、30年となると、政治の良し悪しが、人々の生活をこうも変えてしまうのかとつくづくと思い知らされた。

 最近の店頭から米が無くなった現象は、悪徳商人がはびこる時代劇の構図そのものである。農林省から食糧庁へと続くお代官様が、農協、経済連、全農、そして米卸商一味とつるんで、タイ米だけを先に出して危機感をあおり、法外な値上げや、大量の外国産米を国産米に混米し、それを百パーセント内地米と偽って、大儲けを企んでいる悪徳商法に加担している図式が浮かんでくる。お殿さまはいるにはいるが、まだまだわがまま、むら気でなまぐさい。(追記:熊本藩主の末裔のことです)

 意地にでも外米だけを食べて、魚沼産コシヒカリ10キロ2万円というような消費者をバカにした商法をボイコットし、悪人ばらに一矢報い、しっかりと目を見開いて投票することが、枯淡の黄門様に出合える最短の道ではないだろうか。


   題 名: 蘭 香          2枚  仁科 哲夫

 ガーデニングなどというしゃれた名前とは縁遠い、わが家の詰め込みベランダ園芸の中に、ジコペタラム・マッケイという舌を噛みそうな南米原産の蘭が幾鉢かある。

 夏の太陽を浴びてバルブから光沢のある薄緑色の本葉が増えていく。晩秋から室内に入れる。やがてその基部から一本か二本の花茎が六十センチほどに延び、六,七センチ径の五弁の花が一茎に五つ六つ、十一月から正月にかけて開く。黄緑の花葉には薄茶色の斑が入り、その下の薄紫の唇弁にも赤紫の斑点が散らばる。

 胡蝶蘭の華やかさはないが、夜来香(イエライシャン)のように際立っているのが夜に放つ芳香である。寝室から出てくると、朝の陽だまりの居間いっぱいに香りが満ち、ゆったりとした幸せな気分にしてくれる。

 それはちょうど、夜来の雨に洗い清められた舗道が朝日に光り、そよ風にざわめく照葉の小枝の、色鮮やかなクチンの蝋から発散してくるすがすがしい精気のようでもある。

 だが、よく効く薬も過ぎると毒になるように、思いっきり吸い込むのは考えものだ。吸い過ぎて変なキノコでも食べたように、ふわふわとした気分になったことがあった。もし、この花鉢を部屋いっぱいに敷きつめた中で一夜を過ごしたらどうなるのだろうか。

 まだ原産の地だけに留まっていた遠い昔、エクアドルの王都、インガピルカの城壁からそびえる太陽の神殿には、インカの大王や神官たち、前の広場には祭祀の始まりを待ちうける民草が集う。聖なる神に奉げられる生贄の少女は、その前夜を白衣のままこの花の咲き乱れる淨屋で過ごすのが慣わしであった。あふれる香気に少女は忘我の境地へとさまよい、夜明とともに祭壇へと導かれてゆく。神官の朗々と唱える祭文に法悦の喜びを抱いたまま生きながら抉りだされた心臓は、豊饒をもたらしてくれる太陽神へ奉げられていただろう。

 こんな想いへと遊ばせてくれる、妖しい魅力を秘めた香花である。


   題 名: アメリカ村寸景     8枚  仁科 哲夫

  若いころ見たフランス映画の中で老人が無作法な若者に「近ごろの若いものは」と眉をひそめていた。画面がその老人の若いころに戻ると当時の老人も同じことを言っていた。どんどんと遡っていくが、どの時代の老人のセリフの同じだった。とうとう石器時代まできてしまった。棍棒と石ころでマンモスに立ち向かってこっぴどくやっつけられ、転げるように逃げてくる若者たちに向けられた言葉もまた同じであった。もちろん石器語でしゃべっていたけれども、老人の表情とジェスチュアからじゅうぶんに理解できた。

 淡いモノクロ画面のいかにもフランス映画らしくエスプリのきいたシーンだったが、題名などはまったく覚えていない。ただこの映画を見て、私もいつか老人になるが、若者にこの言葉を使わないようにしよう。と、その時は思った。

 今度の春には七十歳の誕生日がやってくる年の暮れ、見たい映画があったのでミニシアターへ出かけた。場所は大阪ミナミの通称アメリカ村の中だった。地下鉄の心斎橋駅から大阪日航ホテルの前に上がり、少し南に下って右に折れると、そこはもう別世界である。

 一方通行の歩道で左耳に派手なピアスをつけた南米系の青年がアクセサリーを屋台いっぱいに広げていたり、茶髪のねえちゃんのたこ焼屋などで混雑していた。壁いっぱいに描かれたトロピカル調の色彩、ショーウインドのマネキンたちの奇抜なしぐさ、ボリュームいっぱいの音楽、行き交う若者たちの熱気が入り混じった昼下がりの街は、解放区のような底抜けに明るい雰囲気に包まれていた。

 ほとんどが衣料品やアクセサリーを扱う店で、格式などとはあまり縁のない店構えである。道にはみ出さんばかりに吊るされた衣類は今を限りのの命で、次のシーズンには見向きもされない代物かもしれないが、そのはかなさと奇抜さだけが若者を惹きつけてもいる。ひときわ繁盛しているのは、彼や彼女たちの自尊心と充足感のバランスを心得た値札が付けられている店のようだ。

 映画が始まるまでまだかなりの時間があった。映画館のあるビルの少し先、この村のコミュニティセンターともいうべき三角公園をのぞいてみた。ご丁寧にも交番が隣接しているが、気を利かせているのか、居たたまれないのか無人であった。Y字型の交差点に挟まれた敷地で、道路に内接する半円形の階段広場。鉄柵で根本を囲まれた植樹とそれを繋ぐ石のベンチ。壁面を利用した瀑布状の噴水が無ければたちまちホームレスの青い住宅に占拠されてしまう、ネコの額ほどの空間である。

 どの屑篭も発泡スチロールのトレイや空き缶であふれているが、近くの食べ物屋から持ち帰りの紙袋を提げて腰を下ろす場所を目で追っている若者たちから、まだまだ追加されていくはずである。夜が明けて人影の途絶えた公園で、白いトレイを散乱させてわがもの顔に餌をあさるカラスの群れを想像し、姥捨て伝説の白骨の散らばる惨景と思わず重なってしまう。

 あまり目立たないところに腰を預け、通り過ぎる若者たちを飽きずに眺めていた。思い思いに精いっぱいの自己主張であろうが、私のような門外漢の老人にとっては、奇妙テケレツのオンパレード、まさにリオのカーニバルに紛れ込んだようである。

 ひときわ目立つカップルがやってきた。まず目に付くのは男の髪型である。基本的にはモヒカン刈りだが、金髪に染めた何本もの角にまとめて縦一列に並べている。ちょうど自由の女神の荊冠を半分ほど切り取り、生え際から後頭部にかけて貼り付けたようだ。銀色のリベットを埋め込んだ革ジャンにパンツ、編み上げブーツのバンクファッションで決めているのだが、糸のような目を支えている頬骨と突き出た口元から、バターよりはたくあんの郷愁が漂ってくる。

 カウボーイハットから垂れている女の長い髪はもちろん金髪である。その化粧の肌は日本人離れの褐色に塗りたくられたヤマンバ系である。厚い付け睫毛の瞼は爬虫類のように燐青色に輝いてびっくりしたような目つきになっている。右の目じりには白銀の涙が数滴貼り付けているが、これが流行の化粧というものだろうか。緑色のワンピースはこれ以上上げられないほどのミニであり、肩から下げた生成りのずだ袋にはエゴイストのロゴが入っている。夏場のサンダルだけで終ると思っていた厚底靴は、ブーツへと見事に転生しているではないか。

 口を半開きにして見入っている私の前を、声高に話しながら通り過ぎていった。二人とも周囲の視線をじゅうぶんに意識して明らかに高揚している。今、この大阪の最もホットな場所で最新のファッションに身を包み、ナウい会話を交わしながら耳目を集めているこの生の瞬間に自己陶酔しているようだ。彼らの気持ちは判らないでもないが、限られた仲間内以外の大多数の人々から見れば、二人のパーフォーマンスは滑稽としか言いようがないだろう。思わず口元までこみあげてきた「近ごろの」という言葉をぐっと飲み込んで「待てよ」と考え直した。

 あくまでも少数派である彼らを直ちに異端と斬り捨ててしまっていいのだろうか。残りの大多数の若者たちがはたして正統としての栄誉を担うだけの実力があるだろうかと思った。今の若者は失敗を恐れるし争いを好まない。そうなる前に引き下がるか、もっとスマートに最初から近付かないように身を処す術を心得たリスク過敏症である。そのうえ、六十パーセント以上の若者が楽しんで生きることを望んでいる。われわれ年配者がより享楽的だと考えていたアメリカの若者が四パーセントであるのに比べればあまりにも情けない。しかも、アメリカの若者の四十パーセント以上が上昇志向であるのに対し、日本の若者の僅か一パーセント強という調査結果が、先ほどの若者の風潮を裏付けている。

 大多数の正統と目される若者の心情がこのようにふにゃふにゃしているのに比べ、少なくとも異端のほうがもう少し心棒が通っている。不必要なほど過剰な自己表現の強さは、抵抗の意志と変化への志向が具現したものだと信じたい。すべての若者たちが伊達風俗に情熱を注ぎ、ハチャメチャファッションで身を飾れば、変革のエネルギーが日本中に充満していくことだろう。このような心情が一世を風靡する時にこそ、新しい日本の展望が開けていくのではないだろうか。ただ、それまで保てばの話だが。




   題 名: 女の執念        4枚  仁科 哲夫   平成6年10月

  今は亡き遠藤周作氏の作品で、亡くなる前年の朝日新聞に連載された「女」という歴史小説がある。織田信長の時代から三百年ほどの間の歴史上に登場する女性に焦点を当て、「表面、柔和でやさしいイメージのかげに、女がどんなに恐ろしい」ものであるかを私たちに示してくれた。

 連載が終わった平成六年十一月に「つくづく考えた女の恐ろしさ」という一文を同紙に寄せられた。その中で、氏はなにげない顔つきで家事をこなしている奥さんをつくづくと眺め、彼女にもこのような恐ろしい血が流れているかもしれない。いや、流れているに違いないと恐れた。奥さんに対する態度も言葉づかいも次第に丁寧になり、慎重になったことが、今度の小説の別の収穫だったかもしれないという稿了の述懐である。

 これと似たエピソードがわが家にもあった。息子が意中の人を前触れもなくわが家に連れてきて紹介してから、十ヶ月後に結婚した。婚約期間中の二人は、土曜、日曜のほとんどをわが家で過ごした。女房は彼女をたいへん気に入り、来ると分かればスーパーへ走り、私にあてがっていた、イワシやサバ、細切れ肉に比べれば、はるかに高い食材を仕入れてきて、いそいそと準備していた。

 娘と彼女にワインの加わった食卓は賑やかで、すぐに赤くなる私の駄洒落にもしらけず、ふだんは寡黙の食卓がこうも変わるものかと不思議であった。

 先方の希望もあり、重々しい結納の儀の後は、あれよあれよという間に進んでいった。シティホテルでの挙式の後、新婚旅行はモルジブでスキューバダイビングだった。新居を構えて三ヶ月ほどでおめでたの知らせが届いた。指折り数えるとハネムーンベビイである。この知らせをいちばん喜んだのは女房で、私はチクショウ、モルジブがそんなに良かったのかとやっかむだけだ。

 妊娠も後半に入ると、長足の進歩を遂げた映像診断技術のおかげで、胎児の超音波画像をビデオで見ることができる。望めば性別も知ることも可能だが、知るべきかどうか息子夫婦は迷っている。私は情報は良いにせよ悪いにせよ、早く知るべきたという意見である。女房も早く知りたがっているが、どうも先方のお母さんが反対のようである。

 息子は女の子を欲しがり、嫁は立場上中立であった。私もどちらでも良いと思っていた。息子たちが帰った後、性別についての意見をはさまなかった女房が、洗い物をしながらカウンター越しに「わたしは男の方がいいわ」とさりげなく言った。そして今度は目を伏せたまま小さく付け加えた。「その方がわたしの気持が判るもの」。

 私はまじまじと女房の顔を見つめた。遠藤周作氏が奥さんを見つめた畏怖の目と、今わたしが女房を見ているのとはどう違うのだろうかと考えた。あちらのは分析と受容の含みをもち、私のは判明と驚愕がもたらしたものである。しかしどちらにも、その奥に潜んでいる得体の知れないものすごい圧力にたじろぎ、一瞬、言葉を失ってしまった点では同根のものに違いない。男にはこのような持続的な情念はとうてい持ち得ないという、諦めのからんだ淋しい自失感さえも伴っていた。

 これから二十数年後にほかの女と結婚する時、息子を取られた自分の悔しい気持ちを嫁に思い知らせるために、男の孫を欲しがる女の執念は、恐ろしいものだと身がすくんだ。



  題 名: 脳  差         5枚  仁科 哲夫   平成14年3月

 グラウンド・ゼロと呼ばれているニューヨークのワールド・トレードセンター・ビル跡地の片付けもあらかた終わっています。
 事件当時のテレビでは同時通訳が盛んに行われておりました。英語の最後を聞いてから、それを日本語の最初に持ってこなければなrないので、フランス語やドイツ語へ訳すのにくらべるとかなり困難な作業です。これ流暢にこなす人もいれば、しどろもどろの人もいました。
 ただ、性別では女性が圧倒的多数を占めていました。これは言葉についての能力の差ではないでしょうか。一般に女性はおしゃべりだと言われれています。奥さん方が話し始めると際限なく続きます。一つの話題にタップリと時間をかけてあらかた話し終えると、すぐに誰かが別の話題を持ち出す。すると前にもまして盛り上がり、いつ終わるのかさえわからない。男はものの五分も話すとだいたい用件は終り、後はいつ切り上げればよいのかそのタイミングをはかって相手の顔色をうかがっているものです。男の静けさとむさくるしさに比べれば、ちょっとした飾り物もある女性の病室のなんとなくなまめいた華やかさとその賑やかなことはまるで別世界。男児に比べ女の子の方がずっと早く喋りだすのも育児上の事実であります。

 少しとうのたった夫婦のアバウトな奥さんが、タンスの引出しから衣類が少しはみ出しているのに気にしない。たまりかねて
 「こんなのはキライなんだ」
 とでも言おうものなら
 「あなたのイヤなところは、トイレの便座を下ろさない」
 に始まって
 「臭いおならをまき散らす。よくもまあ、あんな大口あけてシーシー歯をせせられるわね」
 「洟をかむといちいち粘着力を試しているし、抜いた鼻毛をところ嫌わずなすりつける。まるでさかりのついたチンパンジーのようだわ」
 たちどころに四つも五つも挙げられてグウの音も出なくなってしまう。

 だいたい夫婦喧嘩で男が勝ったためしはない。男は論理で相手を言い負かそうとする。しかし、口喧嘩はもともと理屈ではなく、いかに相手に打撃を与える弾を数多く打ち込めるかによって勝負が決まるものだ。その点、女性のミサイルは正面からくるかと思えば、がらりと方向を変えて斜め後からも、また、横からも飛んできます。こうなると男はもう防戦一方に追い込まれていく。とても口では勝てないのでついつい手が出てしまう。あげくの果ては犬も食わない結末を迎え、自己嫌悪にさいなまれることにになる。

 この原因ははっきりしています。つまり脳の構造が男と女では、こと言語に関するかぎりまるで違っているのからです。ご承知のように脳は左右に分かれており、おおざっぱに言うと右脳で直感的、感覚的な判断を下している。その情報を論理的な左脳の言語を司るところへ電気信号で送ります。この情報を受けた言語野の中で言葉に組みなおして喋っていく。男の脳はこの単純な構造だけです。

 ところが女の脳は右脳にも小さな言語野がついている。これはパソコンでいうとメモリーに相当するもので、いちいちハードディスクと情報のやり取りをしなくてすむので、処理速度がずっと早くなる。

 メモリーとハードディスクを繋いでいるケーブルの束に相当するのが、脳梁という脳の左右を繋いでいる器官です。ちょうどソーセージの両端を持ってたゆませ、前のほうを釣り針型に下へ湾曲した形で頭の前から後にかけて収まっています。この中を情報を伝達する神経索が通っていますが、女の脳梁の形は男と違っています。男の場合は後ろの端はソーセージの形そのものですが、女の形はこれにピンポン玉がくっついたように広がっている。つまり、この丸みの部分だけ断面積が広いのです。とうぜんその中をより多くの神経索を通すことができるので、情報のやり取りは格段に速くなります。数世代前のパソコンで最新式の超高速大容量のマシンと勝負するようなもので、はなから勝ち目はありません。

 世の男性諸君に忠告する。不幸にして恋人や奥さんと口喧嘩になってしまえば、なんとか相手をやり込めようなどという無駄な抵抗を試みてはならない。ひたすら砂をかぶった貝のように沈黙を守り、嵐が通り過ぎるのを辛抱強く待ちつづけることである。これが夫婦円満の秘訣であり、失恋の破局を回避する唯一の手段でもある。



ネオン赤丸   題 名: 僕の神様        4枚  仁科 哲夫   平成7年12月

 私は小さい時に神様を見たことがある。それは60年程も前の、7つか8つの夏の出来事であった。土いじりの好きな叔父が住宅地の空き地を借りて野菜作りをしていた。30メートルほどの間口で奥行きのある細長い敷地であった。道沿いに深い排水路が通り、それをせき止めて散水に使っていた。

 葉野菜のみずみずしい緑が一面に広がり、胡瓜、茄子、トマト、えんどう豆などが長く延びた畝に支柱から重そうに実っていた。私は畑仕事よりも虫取りが楽しみで、せがんで連れていってもらっていた。むせ返るような青臭いトマトの臭いも苦にならず、叔父が土いじりを楽しんでいる間、ひっきりなしにやってくる蝶やトンボ、葉陰に潜んでいるバッタ、カマキリ、キリギリスやトカゲなどを追っかけるのに夢中になっていた。

 帰る頃になって私は自転車にくくりつけた大きな角の竹かごに載せられていた。そのかごは叔父が営んでいた八百屋の配達に使う、こぶりの事務机ほどの広さもあったので、くわや水桶、ひしゃくなどといっしょに座れたのである。

 忘れ物をしたのか、叔父が畑に戻ったわずかの間に自転車が倒れた。おそらく、私が籠の中で大きく動いてバランスを崩したのだと思うが、水しぶきを上げて排水路の中に転げ落ちた。

 井戸の底から見上げるように暗い壁を挟んでポッカリと空が開けていた。思いがけなく神様が斜めに顔を出して私を見ながら笑っていた。トランプのキングそっくりの顔で、逆光のはずなのに、王冠の輝きや金色に萌える巻き毛、ピンとはねたカイゼルヒゲまではっきりと判っていたから不思議だ。

 神様といえば長く垂らした総髪や山羊ヒゲも真っ白で、妙に曲がった長い杖を左手に構えた白衣の枯れ仙人のような姿を想像していた。だからバタ臭いその顔つきに戸惑いながらも、私を見て笑っているのが意外だった。それは心配しなくてもいいよと元気づけてくれているようでもあったが、へまをやらかした間抜けをあざ笑っている顔にも見えたし、獲物を仕留めた猟師の会心の笑みとも感じられた

 一瞬の出来事ではあったが、こんな時に笑う神様は薄情だと気に入らなかった。不運な出来事にもがいている私を見て、笑うよりも眉を曇らせて悲しげな眼差しで見つめてくれたほうが、ずっと神様らしい温かみがあるのにと感じた。

 どのように引き揚げられて帰ったのかはまったく憶えていない。ただ、その日は口をとがらせて、「神様を見た」と大人たちに訴えてまわったが、誰も笑って取り合ってくれなかったことだけは憶えている。

 このことがあってから、あの笑い顔を思い出すたびに神様との距離が少しづつ遠ざかっていったような気がする。
 そして、現在の私にとって神はすでに死んでいる。


緑の雫  題 名: ネイチャーコール   7枚  仁科 哲夫    平成9年4月

 ネイチャーコール、つまり自然の呼び声が聞こえてきた時、その処理に要するエネルギーは女性の方がはるかに大きい。つまり煩雑だということである。想像力に乏しいせいか、化粧したり着飾ったりした美しい女性の舞台裏にまでは思いが及ばなかったが、結婚して初めてちょっぴり舞台裏を覗かせてもらった気がする。

 外出前に女房は必ず用を足す。また、気心の知れた家を辞するときもトイレを借りる。運動やハイキングなどの野外活動ではその爽快さや美しい風景にひたる前に、トイレがどの範囲にあるかといいうことがいちばんの関心事になるし、事前に水分の摂取を控えることはもちろんである。

 ちょっと横道にそれるが、ある京都の古刹ではスラックスをはいた女性の拝観を断る所があったそうだ。理由を問いただしたマスコミの取材に答えて、厠で用を足す時にスラックスをずり降ろして裾が床に触れるからだという。その裾を引きずってご本尊様の前に出られては困るというのである。拝観料はきちんと取るが、どうしても仏様を拝みたければスカートをはいてくるか、備え付けの貸しスカートにはきかえて下さいというのが寺の言い分である。男だって小ばかりとは限らないのにずいぶんと不公平な取り扱いだと思った。仏教会という組織が幅を利かせている京都らしい話である。

 前のことといえば、東京オリンピックの年に完成した国立競技場の女子トイレの片隅にサニスタンドという立って用を足す便器が、使う人もいないまま今でもひっそりと備え付けてあるらしい。

 個室で用を足せない環境で現代女性は必至に我慢するしかない。その習性から便秘が女性の持病となったのではないだろうかと推測してしまう。昔からパブリックでの女性トイレは込んでいるのが普通だ。最近定着してきたいわゆるライニングという並び方が、女性トイレでは早くから定着していたのではないかと思って女房に聞いてみると、広さの関係でどこででも実現というわけにはいかないらしい。

 どうにも我慢の限界を超えて切羽詰ってくると、図体ばかりの男の中身を知り尽くしたと一目でわかるほどの人生経験を重ねた女性が、やむなく男性用に侵入してくることがある。その場に居合わせた男は、もし反対に婦人用に足を踏み入れたとたんにあがる金切り声に代わる罵声も、また、非難のまなざしの集中砲火をあびせることもない。なにかこちらが不都合をしでかしたように伏目がちになるか、心臓に毛の生えた部類でもぽかんと目を見開いているか、あるいはその不条理を詰問できない自分の不甲斐なさを照れ隠すかのようにニヤニヤするのが関の山である。

  その中をあたかも無人の荒野をゆくがごとく、用を足している卑小な男など微塵にも存在しないかのように中空を見据えて毅然たる態度でドアーにむかってゆく。オーケストラのクライマックスにひときわ高く響きわたるシンバルのように、強く閉まる扉の音にようやくわれにかえり、フルブルツとファースナーを引上げるような経験を積めたのも、少しばかり年をとったからであろう。

 昔の、といっても昭和初期の女性は大都会のど真ん中でもないかぎり、そんな我慢はせずに堂々と立って用を足していたと思う。そんなバカなという人は少なくとも戦後生まれの人たちである。だいたい戦前、戦後という言葉自体が死語になりつつある。私は大阪北部の豊中市生まれの昭和一桁世代で、20歳頃までの行動半径は北は宝塚あたりから大阪市内を縦断して、南は堺市ぐらいまでだったので都会育ちといえるだろう。

 私の学童期から青春時代の昭和25年ごろまでの公衆便所は、だいたいが汲み取り式で汚くて臭かった。男女共用は少なくなる方向ではあったが、まだまだ多数派を占めていた。ホテルでもないかぎり男性用の小の方はずらっと並んで、前の羽目板かコンクリートの壁に向かって放水する。夏場の少し途切れている時などには、溝の奥のほうから蛆虫が這い出してきて羽目板をよじ登っているのはごく普通の光景であった。これが役所や駅の構内、映画館などの、字面を見ただけでアンモニア臭を連想してしまう公衆便所の水準であった。

 この男女共用はもちろんのこと、男子専用の場合にもくだんの羽目板に女性が割り込んで用を足すのを、私は何度も目撃している。さすがに若い女性は見かけなかったが、着物世代でいわゆる伝統的下着愛着派も元乙女たちである。男と反対に後ろ向きで上体を少し傾けて、尻を突き出し加減にして脚を少し開き着物の裾をひざ上までたくし上げる。パンチラならぬ緋色の腰巻をちょっと覗かせて、となりで目を丸くしている男の子に観音様のように慈愛に満ちた眼差しで微笑みかけながら、しかし、かなりの勢いで放水あそばすのである。

 そのほとばしる様は、今ではほとんど聞かれなくなった、尿を表す「いばり」の語感がぴったりであった。もっとも、尿道の形態学的差異から男の筒先ほどの直撃性はなかったので、蛆虫を狙って次々と撃墜するというような器用な芸当はできなかった。それでも、その射出角度と衣類辺縁系との力学的相関は絶妙であった。現代女性のよんどころない物陰での座りションに比べれば、肝心なところはうまく隠して、しかも、足もとや着物の裾を濡らすこともなくじょうずに用が足せたのである。

 女の立ちションは、おそらくずっと昔から昭和初期の日本での、まことにありふれた光景であったと思う。やんごとなきお方ならいざ知らず、働きんどのおかみさんやおばあさんはもちろんのこと、下級武士の妻女や商家のご新造さん、番茶もでばなの娘さんにいたるまで物陰でかんたんに用を足していたのではないだろうか。

 それを男立ちは見てみぬふりをしながら、自分たちも前をまくってせっせと立ちションにはげんでいたのだろう。いささか非衛生的ながら、人々は自然の呼び声が聞こえてきた時にはおおらかに答えていたのである。

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赤い雫  題 名: 繭のスーツケース   5枚  仁科 哲夫   平成9年10月

 平成9年1月、私たち夫婦合わせて123歳の超熟年カップルがアメリカ・フロリダ州のマイアミへドライブ旅行に出かけた。女房は暖かいところを望み、私は水平線から昇る朝日を見たかった。また、正月を過ぎると飛行機代が安くなるので、1月のマイアミとなったのである。
 ご承知のようにフロリダ半島は温暖な気候を求めて、全米から退職者が集まってくる所だ。地図を見ても台北あたりの緯度になる。おまけに、メキシコ湾流という暖流の影響もあるので、低地の南フロリダは冬のない所だと思っていた。ところが着いて2日目から急に寒くなった。テレビが伝える華氏の温度を換算すると摂氏11度まで下がっていた。おまけに風が強いので体感温度は真冬なみである。皮ジャンにジーパン、スニーカーがご当地の若者の定番スタイルになっているので、この寒さは特別のものではないようだ。

 男が、といっても人格高潔なご仁のことではもちろんない。私のように品性下劣な男がマイアミビーチという言葉で連想するのはビキニである。女房には内緒だが、金髪の美女が超ビキニの水着で燦燦と輝く浜辺で日がな寝そべっている姿を、生唾を呑み込みながら拝ませてもらうつもりだった。ひょっとしたら、ティーバックの申し訳ていどの布きれを腰のあたりにまとっただけのトップレスに出くわすかもしれない。その時には、緩みきった口もとから涎を垂らしてはいけないと自らを戒めてさえいたのである。ところが、予想もしない寒波襲来のおかげで、私のよこしまな期待はものの見事にはずれてしまった。

 こんなヨタ話をご披露するのが目的ではない。空港で見かけた奇妙な装置の事をお伝えしようと思っているのだ。遅く着いたのでその夜は空港内のホテルに泊まり、翌朝ホテルを出て2階の長い出発ロビーを歩いて下のレンタカー会社へ向かっていた。チェックインカウンターから少し離れたところに置かれたキャスターの付きの機械装置が目にとまった。

 それはちょうど配達トラックから荷物を運ぶ時に使う手押し車に似ていたが、一回りほど大きいその台車の上には直径1メートルほどのステンレスの回転盤が載っている。押し手のパイプの下側は10センチほどの厚さの壁になっており、上が操作盤でスイッチやメーターが並んでいた。だがその幅は台車の2/3 ほどで、余った所にパイプが立っており、幅が1メートルほどの透明ビニールフイルムのロールをそのパイプに通していた。

 手荷物検査機の構造でもなく、何に使うのかさっぱり見当がつかなかった。若い黒人の係員に尋ねてみると盗難防止用だという。前のカウンターには中南米やカリブ海諸国の始めて見る航空会社が並んでいる。興味津々で待っていると、ようやく客がきた。係員がスーツケースを受け取り台に載せる。ロールからビニールを長く手繰り出して、その端を提げ手に結び、操作盤から延びたコードの手元スイッチを入れた。

 ステンレスの台はゆっくりと回転をあげ、係員は廻っているスーツケースにビニールを巻いていく。その様子は巣に引っかかった虫がクモの何本もの足で絡まれ、ぐるぐる巻きにされていくのとそっくりだ。上下左右、縦横斜め、これでもかこれでもかと巻き続けていくうちに、スーツケースをサナギにしたビニールの繭が出来上がっていた。しかし、天然の絹がもっている暖かさと比べると、その繭は素材の無機質のために、ひときわ燦然と透明な輝きを放っていた。

 マイアミは中南米やカリブ海諸国への玄関口である。経済状態が決して良くないこれらの国々では、手荷物受取所のベルとコンベヤーに載って現れてきたスーツケースはものの見事にこじ開けられていたという、盗難、破損事故が続発したのであろう。だから、航空会社が言い逃れできないように、このような自衛手段を講じるようになったのではないだろうか。

 需要のあるところに供給が生まれるのが経済法側というものだが、それにしても、なんとも奇想天外な防衛策を考えだし、それをビジネスにつなげていくアメリカのしたたかさを目のあたりにした思いがした。

 私の運転で合衆国の本土最南端にあるキーウエストまで足を延ばした。9日間で千キロほど走ったが、幸い無事故無違反、セルフ給油も2回経験した。爺さん婆さんの赤ゲットながら、大西洋の水平線のかなたから昇る壮麗な朝日満喫した日々であった。


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黄色い雫 題 名  存在の重さ 4枚  仁科 哲夫  平成11年11月

 女房が60歳の誕生日を迎えた。代替わりの年ほど嫌なものはないと言っていたが、とくに還暦を喜ぶどころか落ち込んでいる。女性が年とともに容貌が衰えるのを恐れる気持ちは、もちろんよく分かっている。そのために涙ぐましい努力を重ね、夢を求めて、化粧品会社に莫大な支出を続けるのも仕方のないことだと思っている。
 思ってはいるが、もう少し薄く延ばしてはどうかという意見にも、諸手を挙げて賛成する。控えめなな女体の芯奥から臈たけた匂うような美しさで、歩んできた人生の起伏の激しさをうかがわせてくれる女性だっているではないか。

 もっともそれとは逆に、世の中にはゴキブリ以外に怖いものなどなぁんにもない。図体ばかりの男の中身も知りつくくしているので、か弱い女性の立場を臨機応変に使い分ける特技を身につけたと自他ともに許す、存在感にあふれる女性が数多くおいでになることもまた確かである。

 ただ、そのどちらの側の女性であっても、体重の増加だけは共通する悩みのようである。肥満が生活習慣病のもとになり、健康な人生をすごすために望ましい体重を保つことは必要だが、過ぎたるはなんとやら、極端なダイエットにはしって逆効果をまねいてはなんにもならない。

 もちろん、時と場所が変わればこの規準もあてはまらない。現在でも飢餓と隣り合わせの人たちもいるし、太っている女性が好まれる社会もある。首の長いことや、尻の出っ張り具合が美人の条件になるところだってある。このように美の規準は相対的なものだから、そんなに太っているのを気にしなくてもいいのだと慰めてみても、
「それじゃあ、私はホッテントット、失礼ねっ」
 と、ぶっ飛ばされるのがおちである。

 うちの女房もご多分にもれず肥満恐怖症である。頻繁に体重計に乗りその数値に一喜一憂しているが、私には決して明かさない。そっと後ろから覗き込もうとするとデジタルの窓を足でふさがれた。しつっこく聞くと、
「そんなもの知ってどうするのよ!」
 と気色ばむ。長年連れ添っていまさら隠すこともないだろうと思うが、こればっかりはいくら還暦を迎えても、女心というものだろうか。

 洗面所から洗濯機の終了音が聞こえ台所の水音と鼻歌がやんだ。猫の額ほどのリビングからは筒抜けで、気配から察すると洗濯物を取り出しているようである。手伝おうかと思って洗面所をのぞくと女房が体重計に乗っていた。驚かしてはと黙って見ていると、エプロンのポケットに手を突っ込んで中身をさぐっている。

 ずるずるとパンストを引っ張りだしてきて指先から離し、床に落ちるのを確かめたあと背すじすっとを伸ばし、あらためて目盛りをのぞきこんでいた。声をかけようとしていたのをやめ、そっとリビングのイスに戻って新聞に手をのばした。


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紫の雫 題 名  私の宝物  5枚 仁科 哲夫 平成13年4月 南郷通信との重複部分を削除し、加筆訂正しております。

 長年住みなれた大阪を離れ、南宮崎の外浦(とのうら)に移ってから一年が過ぎた。温暖な気候と海の幸に恵まれたここの暮らしは穏やかで素晴らしい。南向きの書斎から微妙に色を移してゆく外浦の海とエバ(岩礁)をあきずに眺めている。

 私は酒を飲まない。というよりも飲めないのだ。はるかに遠い昔のご先祖様たちが、気の遠くなるような幾千もの世代を重ねながら、赤道東アフリカのサバンナからモンゴル高原あたりにたどり着いたころ、アルデヒド脱水素酵素を作る遺伝子に疵がついてしまったようだ。そのために、コップ一杯のビールで金時の火事見舞いが出来上がってしまう。
 
 晩酌の代わりが午後のコーヒーブレイクだ。念入りに淹れたコーヒーをいつものマグカップにタップリとつぎ、硬く粒の揃ったピーナッツを少し添えたトレーを机に運ぶ。窓を背に浅く座り、引き寄せたパソコンのイスに長くもない足をのせてから背もたれまで深く座りなおす。

 抽出された焙煎の香りとともに含んだ苦味が、舌先から上あごを潤して口中に広がり、温かい塊となってゆっくりと喉元をおりてゆく。ヘッドレストに頭をあずけて軽く目を閉じ、「ふぅー」とひと息もらす。これが下戸の私にとっての至福のひととき。

 薄く開いた目はゆっくりと前の壁時計と陶製の額の間に貼り付けた紙、毎年新しく替えている、その筆ペンで書かれた西行の和歌へと移ってゆく。

  「願はくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」

 西行の享年は七十三歳、その当時としてはかなりの長命だ。しかも六十九歳の時、東大寺大仏再建の勧進聖(かんじんひじり)として、伊勢から奥州の平泉を巡り、京都までの長旅をしている。私の子供のころは六十爺さんといえばよぼよぼと相場が決まっていた。まして鎌倉初期のこの年での旅は、山峡の自然にとけこんだ仙人の風貌ではなかったかと想像している。

 わずらわしい世の束縛から解き放たれ、あらゆる物欲からも超越して歌ざんまいの世界に遊ぶ西行にとっても、いずれおとずれる死は、自分の意志ではどうにもなら
ないことはよく分かっていた。だからこそ、たとえ旅の野末に朽ち果てる身でも、やわらかい月の光のもと、花に埋もれた安らかな往生を願い、その心を歌に託したのであろう。

 「如月の望月」といえば旧暦二月十五日の満月、釈迦入寂の時を指す。「そのきさらぎと言ひおきて」「望月のころはたがわぬ」「願いおきし花のしたにて」と追憶の歌が詠まれているように、わずか一日遅れの二月十六日に、己の数寄を通した漂白の生涯を閉じている。私もできることなら、この「花の下 雫に消え」るような静けさと安らぎの境地で死にたい。

 死がそれほど遠くないところまできているという西行のやりきれない気持ちは、彼の年に近づいた私には痛いほどよく判る。幸い今のところ健康に恵まれてはいるが、いつお迎えがきてもおかしくはない。早ければ今年か来年かも。運良く三年先、五年先、あるいは十年後までも延びてくれるだろうか。

 ひょっとして、二十年先であればこれは儲けもの。しかし、三十年後というのはまずあり得ないのも確かなことだ。死んでも命がありますようにと生に対する執着は強いが、この願いをだれもかなえてはくれない。その時がきてしまえば凛として受け入れよう。

 私のこれまでを振り返ってみると、妙にひねくれて斜に構えたまことに悔い多き人生であった。せめて残されたわずかの時間だけでも、満ち足りたものにしたいと願っている。願望の表現になっているのはまだ実現していないという意味である。なんとか現在進行形が未来進行形になればよいのだが、残念ながら願望の段階に留まったままだ。

 この理由は自分のことだからよく分かっている。安定した反復こそ居心地がよく、西行のように意志強固でチャレンジ精神旺盛な人間ではない。果断にして沈着。目標を設定して営々と努力を積み重ねていくのがきわめて苦手な部類に属する。いうなればぐうたら人間ということにつきる。

 このなんとも救いがたい性格をよくわきまえているので、天罰も受けず無事に一年が過ぎてくれたことはたいへんありがたい。四月の誕生日がくると、真っ先に張り紙を書き換えることにしている。うっすらと黄ばみ、否応なく時の経過を示してくれる紙切れ一枚が手元に残る。

 これが今の私にとってはいちばんの宝物である。

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